赤いランプが点く直前、台本なしで十分快を埋める話
小さなコミュニティラジオのブースで、赤いランプが点きそうでした。ゲストが直前に来られなくなって、机の上には指示書一枚と短い例が数枚。私はそれだけで十分快しゃべるしかありませんでした。
放送って、天気は天気の人、スポーツはスポーツの人、みたいに分けるものだと思われがちです。面白いのが、同じ話し手のままでも、直前のメモと例だけで別の型に切り替えられるのか、という発想です。
その確かめ方も、ラジオっぽいんです。経験の浅い司会者から、ものすごく場数を踏んだ司会者まで、規模の違う何人もを用意します。ただ机は小さいので、一度に見られるメモは数ページぶんだけです。
ブースの場面も三つ。指示書だけ渡す。例を一つだけ渡す。机に置けるだけ例を並べる。意外と、経験が深い司会者ほど例が効きます。机のメモがその場の指示で、司会者の癖は中身のまま、机の広さが一度に使える量です。持ち味が大きいほど、少ない例で型をつかめます。
いちばん経験が深い司会者は、作り直しなしでも色んな出題に強くなりがちです。空いた言葉を自然に埋めたり、調べずに雑学に答えたりします。例を見せると、答え方がぐっと整うこともあります。で、言葉の意味の比べ方や、難しい二択は苦手が残って、長く話すと同じことを繰り返す時もあります。
ある程度の経験に達したところで、急にできることも増えます。新しい言葉遊びのルールを、例を少し見るだけで真似できたりします。小さな数の計算も、並び方を見せるとついてきます。数字や手順が増えると、つまずきやすくなります。
放送のあと、気になる点も残ります。昔どこかで同じ質問を聞いていたら、うまく答えられて当然かもしれません。だから、過去に読んだ文章と問題文がそっくり重なっていないか確かめたり、より混ざり物の少ない問題でやり直したりします。机のメモだけで型を切り替えられる司会者は頼もしいです。でも声がそれっぽくなるほど、丸写しや偏り、作り話の量産、作る手間の重さにも目が離せません。